続)亡き父の年金記録に誤りがあった

この時に調査依頼した亡き父の年金記録の抜けに対し、
社保庁から回答が届いた。

内容は味も素っ気もなく、
ただ、年金記録が記載されているだけ。

仔細に見て、今度は抜けがないことを確認する。
「ここをこう変更した」旨の
説明くらいできようものを...。

もっとも、今回の回答書は年金記録に関するだけで、
これによって年金金額がどう変わるかは
さらなる再裁定によって決まる。
10ケ月~1年かかるそうな。

調査依頼をしてからはや9ケ月、
これから10ケ月~1年、都合1年7ケ月~1年9ケ月。
ま、ちゃんと仕事をしていることは評価するものの、
70歳を大きく過ぎた母には
けっこうキツい時間だと思うのだが...。

ビル

新年早々、伯父の訃報

母の長兄の伯父が、昨日(1/3)、亡くなった。
この伯父のさらに兄にあたる。

兄弟で起こした会社の社長として
高度成長期に会社をおおいに伸ばしのだが、
弟の反乱や、その後のバブル期に翻弄され、
さらには後継者問題でつまづき、
結局は全てを投げ出して破産した。

破産してからは病魔に襲われる。
かつて自宅のあった一帯は全て人手に渡り、
最期は、娘が確保した小さな家で病気と闘った。

かつては、建坪100坪の邸宅の主だった。
もっとも、この邸宅を建てた頃から
左前になったのは皮肉な結果といえる。

通夜と葬儀に出かける母と妹を駅まで送る。
一代前の祖父母の式は邸宅でやったのだが、
今回は葬儀場でひっそりと執り行う。

合掌。

眠い(睡眠)

亡き父の年金記録に誤りがあった

ねんきん特別便とやらが届いた。
亡き父のもの。
母が遺族年金をもらっている関係で届いたのだ。

なにげなしにその記録を見ていた母が、
「7ケ月分途切れている」
と。

どれどれと見てみると、
ずうっと同じ会社に勤めた父の年金加入記録の一部に、
確かに切れている部分がある。

ある会社に勤続40年したものの、
地方の工場を転々とした父の年金記録は、
その工場ごとに何年何ケ月と記録されている。
ところが、
A県での最後の記録が昭和39年3月で、
B県での最初の記録が同年10月となっている。

父が淀みなく連続して勤務していたのは間違いなく、
母は同時期の父の給与袋をたんすから引っ張り出してきた。

他人事と思っていたこの問題、
身近にも起きるんだなと改めて確認した。
某厚生労働大臣の署名のプリントが不自然に大きいのが
とても白々しく見える。

ビル

続きを読む

古い8ミリフィルムをDVDに変換してもらった

ひょんなことから、
父が撮った8ミリのフィルムが6巻も出てきた。
当然ながら映写機なんてものはないので、
ネットサーフィンで見つけた変換屋さんで
DVDに変換してもらい、今日それが届いた。

あっはっは、家族みな若い (^_^)
いまは亡き父、祖父母や母や妹それに俺。
祖父母が飼っていたイヌ、

PDVD_001.jpg

こ~んなに雪がないところでスキー!?

PDVD_000.jpg

万博の動く歩道から見たスイス館、

PDVD_002.jpg

などなど様々な動く姿がみな懐かしい。

6巻約100分で、変換費用は3万円弱。
すご~く楽しんでこの料金は安い。
父が亡くなった時にフィルムは処分したと思っていただけにね。
近く、母と妹とを呼んで鑑賞会でも開こうっと。

カチンコ

「なるほど!なっとく介護」NHK教育

信奉する三好春樹氏を講師とする番組。

今回は、力を使わず腰を痛めないで
お年寄りを立ち上がらせるための介助方法。
ここで触れたポイントに
介助者側のポイントをわかりやすく説明し実践する。

ベッドから立たせて車椅子に座らせるという介助では、
目からウロコが落ちるような鮮やかな方法を伝授する。
じつは、俺はホームヘルパー2級の資格を持っているのだが、
その時の講習とはまるで違う方法に驚いた。

明日もこの番組をやっている。
NHK教育で夜20時からの30分間。
さっそく録画を仕掛けたぜ。

車椅子

父の散髪旅行リベンジで富士を堪能した

父の死の直後に実施した散髪旅行は、もう、雨、雨、雨...雨ばかりだった。
で、今回、復讐戦の旅行を実施した。

ま、今回は時期の勝利。
どこへ行っても晴れ、晴れ、晴ればかり (^_^)

初日こそ、すこし雲がかかったものの、
雲がかかればかかったで、河口湖では
鴨が富士を突っつく愛嬌を見せてくれた。
題して「鴨富士」。

kamofuji.jpg

1日めの宿では、夕日から翌日朝まで
ずうっっっっっと富士を真正面に拝める部屋で泊まり、
朝日は、ご覧の露天風呂で見た。
題して「窓富士」。

madofuji.jpg

2日めは、山梨側から箱根を経由して伊豆半島へ。
沼津から大瀬崎、大瀬崎から達磨山。
ここで見たのは、かすかにけぶる海越えの富士。
題して「田子富士」。

tagofuji.jpg

伊豆長岡で豪華食事を楽しんだあとの3日め、
東名を、沼津から清水に下り、一路日本平へ。
日本平からの富士も海越えで最高だったが、帰路、
東名を上り、富士川SAから見た富士がまたよかった。
題して「富士・川」。

fujikawa.jpg

至るところ、さまざまな場所で富士を堪能し、
父の遺髪を埋め流し飛ばした。
父もきっと本望だろう。

車椅子

[過去の介護関連]

  四九日法要と納骨は、あっという間に終わった
  父に、家族も知らない実兄がいた
  散髪旅行は、雨、雨、雨...雨ばかり
  めちゃめんどうな死亡後の手続き
  喪主は、めちゃくちゃに忙しい
  父、永眠す
  父、食欲が落ちまたまたの入院へ
  父、いよいよ歩行が困難に
  父、緩和ケア病棟から退院する
  父、来週半ばに退院へ
  父、緩和ケア病棟でくつろぐ
  父、救急車で病院へ
  富士を拝んであけおめ
  父、予定の富士山観望旅行を中止
  病院との2度の往復で休日が消えた
  ベッドの高さを調整したら、父が自分で立った。これは正解っ!
  父、デイサービス初訪問の翌日、入院する
  介護保険認定のための調査員がやってきた
  父の誕生日、富士山の写真を贈った
  介護保険の相談に行ってきた
  父、退院する

めがねおじちゃん、死す

母の兄、いとこの間で「めがねおじちゃん」と呼んでいた伯父が亡くなった。
太い黒縁のめがねにダークスーツといういでたちが強く印象に残っている、
ダンディな伯父だった。

めがねおじちゃんは、何社もの社長を兼務する激務にも関わらず、
我々いとこが遊びにいくと必ず豪華食事に連れていってくれた。
もっとも、我々は、食事の後に渡される破格の金額の小遣いが
一番の楽しみだったのだけれど。

母の兄弟の間では、きわめて評判の悪いめがねおじちゃんだった。
母の兄弟は、共同で会社経営をしていたのだが、
めがねおじちゃんは、他の兄弟と折り合いが合わず、
独立して自分の会社を立ち上げた。
利にさとくビジネスは強引そのもので、
合併や買収で事業を拡げていった。

めがねおじちゃんは、あれよあれよという間に
会社を10社くらいにまで拡げたのだが、
破綻するのも早かった。
会社を拡げた時と同じくらいのスピードで1社また1社と身売りしていき、
最後は自己破産して全財産を手放した。

住む場所も無くなっためがねおじちゃんは、
祖母の自宅の敷地内にあった離れを占拠して
自己破産後の人生を過ごした。
ほとんど離れから出ず、祖母とだけ食事を共にしていたようだ。
その祖母が亡くなった時に
かなり重い認知症で人前に現れ、親族を驚かせた。

結局、めがねおじちゃんは、
妻の実家に戻っていた長男(いとこ)が引き取ったのだが、
介護にはそうとうてこずったようだ。
じきに家族で面倒をみる段階を超え、
その後は病院で過ごした。

父の葬儀の時に、めがねおじちゃんの長男(いとこ)が
ぼそっと言った。

「うちの親父も時間の問題。
 もう暴れることもないので、正直、ほっとしている」

むかしもらった破格の小遣いの何分の一かの香典を、
めがねおじちゃんの葬儀に参列する母に託した。

合掌。

眠い(睡眠)

四九日法要と納骨は、あっという間に終わった

9月6日に父が亡くなって以来、
通夜葬式相続その他もろもろのイベント続きだったが、
今日の四九日法要と納骨で、ようやく一段落。

最後の2つは、あっけないほど短時間で終わった。
まずは坊さんに自宅に来ていただいて四九日法要を。
2つのお経を出席者全員で読んでから、
坊さんの説教を聞いて終わり。
所要時間20分。

ついで墓所へ移動して、墓の中に骨壷を入れる。
墓守のおじさんが骨壷を入れた後、
代表者の母が状況を確認し、
さらに坊さんがお経をあげて終わり。
所要時間10分。

移動時間を含めても40分という早さだった。

墓石には、父の好きな富士山の絵を中央に刻み、
雪山讃歌の歌詞の一部を添えた。

「明日は登ろよ あの頂きに」

合掌。

終わった終わった。

車椅子

[過去の介護関連]

  父に、家族も知らない実兄がいた
  散髪旅行は、雨、雨、雨...雨ばかり
  めちゃめんどうな死亡後の手続き
  喪主は、めちゃくちゃに忙しい
  父、永眠す
  父、食欲が落ちまたまたの入院へ
  父、いよいよ歩行が困難に
  父、緩和ケア病棟から退院する
  父、来週半ばに退院へ
  父、緩和ケア病棟でくつろぐ
  父、救急車で病院へ
  富士を拝んであけおめ
  父、予定の富士山観望旅行を中止
  病院との2度の往復で休日が消えた
  ベッドの高さを調整したら、父が自分で立った。これは正解っ!
  父、デイサービス初訪問の翌日、入院する
  介護保険認定のための調査員がやってきた
  父の誕生日、富士山の写真を贈った
  介護保険の相談に行ってきた
  父、退院する

父に、家族も知らない実兄がいた

めちゃめんどうな死亡後の手続きをさらにめんどうにした原因が題名の件。
父の出生から死亡までがわかる登記簿謄本を取り寄せてみて、
初めてわかった事実だった。

父は6人兄弟の5男だったのだが、
実の兄弟はすぐ上の4男だけで
あとは皆、祖父が祖父の兄弟の子供を養子にしていた。

が、祖父母は原爆で亡くなり、
その後、養子の長男が結婚し独立、
父をはじめ他の兄弟は長男の戸籍に入った。
ところが、養子のはずの長男が
戸籍では祖父の実子になっていたのだ!?

家族はもちろん、父の実兄の4男(故人)の妻も
知らなかった(気づかなかった)事実だ。

長男は存命なものの、脳梗塞をわずらいほぼ植物人間の状態で
話を聞くどころの騒ぎではない。

祖父は、かなりの資産家で、
地元の町の中心街に多くの土地を持っていた。
が、抑留から帰国が遅れた次男には相続財産は皆無、
原爆で死んだ3男は相続は不能、
実の兄弟のはずの4男と5男の父には郊外の小さな土地が与えられただけで、
なのに長男は駅前の一等地を相続している......。

ま、そんなこんなで、
親戚間で、ほんのすこし波風が立った。
60年も前のことで、事実は不明。
いまさら、明らかにする方法もないし、
そうしようとも思わないことながら、
ま、ちょっと気になる話ではあるよね。
父方の親戚の没交渉ぶりにも、
いまさらながら理解できるような気がするね。

映画「砂の器」ばりの本籍再生があったのだろうか...。

車椅子

[過去の介護関連]

  散髪旅行は、雨、雨、雨...雨ばかり
  めちゃめんどうな死亡後の手続き
  喪主は、めちゃくちゃに忙しい
  父、永眠す
  父、食欲が落ちまたまたの入院へ
  父、いよいよ歩行が困難に
  父、緩和ケア病棟から退院する
  父、来週半ばに退院へ
  父、緩和ケア病棟でくつろぐ
  父、救急車で病院へ
  富士を拝んであけおめ
  父、予定の富士山観望旅行を中止
  病院との2度の往復で休日が消えた
  ベッドの高さを調整したら、父が自分で立った。これは正解っ!
  父、デイサービス初訪問の翌日、入院する
  介護保険認定のための調査員がやってきた
  父の誕生日、富士山の写真を贈った
  介護保険の相談に行ってきた
  父、退院する

散髪旅行は、雨、雨、雨...雨ばかり

父の遺髪を、父の大好きだった富士山の見えるところに撒く、
という散髪旅行に行ってきた。

が、2泊3日の旅行中は、ずうっと雨、雨、雨...雨ばかり。
富士山は雲に隠れたままでまるっきり見えな~い。
ま、残った者の行いの悪さを証明するようなもんだな (^_^;;;

huji20051018.jpg

で、一転、食べまくる旅行へと変貌した。
河口湖のほうとう、富士宮の焼きそば、伊豆の伊勢海老などなど...、
食いしん坊の父の供養の旅行なのだからと言い訳をしながら、
食べまくったぁっ。

散髪も数箇所でやったものの、
やはり、肝心の富士山が見えないのでは気分はいまいち。
いつか再戦をしなきゃいけないと、
遺髪をすこし残しておく。

さぁ、今週末の四九日法要を最後に、
一連の父の死亡後の手続きが、ようやく一段落する。
正直、疲れた。

車椅子

[過去の介護関連]

  めちゃめんどうな死亡後の手続き
  喪主は、めちゃくちゃに忙しい
  父、永眠す
  父、食欲が落ちまたまたの入院へ
  父、いよいよ歩行が困難に
  父、緩和ケア病棟から退院する
  父、来週半ばに退院へ
  父、緩和ケア病棟でくつろぐ
  父、救急車で病院へ
  富士を拝んであけおめ
  父、予定の富士山観望旅行を中止
  病院との2度の往復で休日が消えた
  ベッドの高さを調整したら、父が自分で立った。これは正解っ!
  父、デイサービス初訪問の翌日、入院する
  介護保険認定のための調査員がやってきた
  父の誕生日、富士山の写真を贈った
  介護保険の相談に行ってきた
  父、退院する

めちゃめんどうな死亡後の手続き

通夜と葬式は、
葬儀社のエスカレーターに乗っているようなもので
まだマシだったのだが、
めんどうなのは、このエスカレーターから下りた後だった。

人一人亡くなると、役所絡みの手続きだけでた~いへん!
死亡届に保険や年金の解約、葬祭料の請求をして、
相続財産の整理には父の出生がわかる戸籍謄本だのまで必要で、
本籍地の広島から取り寄せなきゃならない。
さらに種々雑多様々な名義変更、いくつかの銀行口座の解約に
墓や仏壇やお返しの手配が四九日法要を期限に迫ってくる。

あっちゃこっちゃ移動している間にも、
自宅に直接香典をお持ちになる方のお相手をして、
その間に折悪しく仏具屋のセールスに捕まって...。

あ~、父と俺の名前と住所をもう何回書いたことか。
まだまだまだまだ書かなきゃならないのだから
ヤになってしまうぅ...。

ま、何百人の参列者も億を超える財産も無かったのが
幸いと考えるべきだなぁ。

車椅子

[過去の介護関連]

  喪主は、めちゃくちゃに忙しい
  父、永眠す
  父、食欲が落ちまたまたの入院へ
  父、いよいよ歩行が困難に
  父、緩和ケア病棟から退院する
  父、来週半ばに退院へ
  父、緩和ケア病棟でくつろぐ
  父、救急車で病院へ
  富士を拝んであけおめ
  父、予定の富士山観望旅行を中止
  病院との2度の往復で休日が消えた
  ベッドの高さを調整したら、父が自分で立った。これは正解っ!
  父、デイサービス初訪問の翌日、入院する
  介護保険認定のための調査員がやってきた
  父の誕生日、富士山の写真を贈った
  介護保険の相談に行ってきた
  父、退院する

喪主は、めちゃくちゃに忙しい

父が亡くなったのが9月6日の夕方で、
さっそく葬儀会社と打ち合わせた結果、
通夜が翌日9月7日夕方、
葬儀は翌々日9月8日朝8時となった。

葬儀の開始時刻が早いのは、焼き場の予約が朝一しか空いてないため。
もともと、親族プラスα程度の規模なので、
空いていればどこでもいいってんで、
朝一で予約をした。

ところが、
故人の妻、つまり母は抜け殻のようになってほとんど役に立たない。
全ての確認ごとが喪主、つまり俺に集まってくるぅ...。

いやいや、それにしても、
会葬者控え室の鍵の管理までは、はっきり無理だよ。
俺は1人しかいないのだから!

妹の子供(甥)を頼る。
上の子は、けっこう役に立つ、これは新発見。

喪主挨拶、思った以上に好評。
四十九日法要を家族だけでやるっつうことを宣言した割には、
うるさ型親族からは声なしだった。
ラッキー (^_^)

それでも、まだまだ仏壇やら墓やらいろいろと手続きが必要だし、
父の死亡届に関わる届出関連だけで、
半日が潰れてしまいそう...。
でも、やるっきゃないよなぁ...。

車椅子

[過去の介護関連]

  父、永眠す
  父、食欲が落ちまたまたの入院へ
  父、いよいよ歩行が困難に
  父、緩和ケア病棟から退院する
  父、来週半ばに退院へ
  父、緩和ケア病棟でくつろぐ
  父、救急車で病院へ
  富士を拝んであけおめ
  父、予定の富士山観望旅行を中止
  病院との2度の往復で休日が消えた
  ベッドの高さを調整したら、父が自分で立った。これは正解っ!
  父、デイサービス初訪問の翌日、入院する
  介護保険認定のための調査員がやってきた
  父の誕生日、富士山の写真を贈った
  介護保険の相談に行ってきた
  父、退院する

父、永眠す

本日いや昨日(9/6)16時45分、父は永眠した。

父の最期の言葉は、妹の「アイス、食べる?」に応えた
「食べる」だった。
食いしん坊だった父にふさわしい言葉だなぁ、と。

最期までガンの痛みのない安らかな最期だったのが
父にとっても家族にとっても幸いだった。
合掌。

車椅子

[過去の介護関連]

  父、食欲が落ちまたまたの入院へ
  父、いよいよ歩行が困難に
  父、緩和ケア病棟から退院する
  父、来週半ばに退院へ
  父、緩和ケア病棟でくつろぐ
  父、救急車で病院へ
  富士を拝んであけおめ
  父、予定の富士山観望旅行を中止
  病院との2度の往復で休日が消えた
  ベッドの高さを調整したら、父が自分で立った。これは正解っ!
  父、デイサービス初訪問の翌日、入院する
  介護保険認定のための調査員がやってきた
  父の誕生日、富士山の写真を贈った
  介護保険の相談に行ってきた
  父、退院する

父、食欲が落ちまたまたの入院へ

熱が出ようが食欲はあった父だったが、
今週末にかけて
食い意地の張ったその父の食欲が極端に落ちてしまった。
食べた物はすぐに戻すし、
わずかに身体に入った物は下痢して出してしまう。
これでは、体力をどんどんと落とすばかりだ。

「いつでもいらしてください」という緩和ケア病棟に連絡する。
が、週末ということで主治医に連絡が取れない。
病院としても、積極的な治療を拒否している父には
すでにすべきことがあまりない。
はっきりとした方針が不明なままで入院させるのは
病院としても困るのだろう。
それはわかる。
しかし、家族で面倒をみることは、すでに限界がきている。

とりあえず入院して、月曜の主治医の診たてを待つこととなった。
結局、入院を嫌がっていた父が自ら
「病院に行く」と言ったのが決め手となった。

夕方、付き添っている母を病院に迎えにいったら、
父は、酸素吸入器をつけて横になっていた。
治療を何もしない方針の割にはおおげさだ。
が、父はぐっすりと気持ちよさそうに眠っている。
これで食欲が戻ればうれしいのだが...。

車椅子

[過去の介護関連]

  父、いよいよ歩行が困難に
  父、緩和ケア病棟から退院する
  父、来週半ばに退院へ
  父、緩和ケア病棟でくつろぐ
  父、救急車で病院へ
  富士を拝んであけおめ
  父、予定の富士山観望旅行を中止
  病院との2度の往復で休日が消えた
  ベッドの高さを調整したら、父が自分で立った。これは正解っ!
  父、デイサービス初訪問の翌日、入院する
  介護保険認定のための調査員がやってきた
  父の誕生日、富士山の写真を贈った
  介護保険の相談に行ってきた
  父、退院する

父、いよいよ歩行が困難に

今年はじめの入院以降、ずうっと家で療養していた父、
三度の食事をしっかりと食べ、
朝晩の新聞をなにより楽しみにしていたのだが、
この暑い夏、食欲がなくなり、ぐ~んと体力を落としてしまい、
いよいよ歩行が困難になった。

ベッドのある居間から食堂までのほんの5mが、
なんとも遠い。
誰かの助けを借りないと立つのも難しい。
ベッドの高さが合っていても
基本の体力がないとダメなのだ。

なのに、先日、夜中に1人でトイレに立とうとして転び、
頭と背中をしこたま打ってしまった。
大事にならなかったのは、ほんと、幸い。

富士山を見にいくことが、はてできるのだろうか...。

車椅子

[過去の介護関連]

  父、緩和ケア病棟から退院する
  父、来週半ばに退院へ
  父、緩和ケア病棟でくつろぐ
  父、救急車で病院へ
  富士を拝んであけおめ
  父、予定の富士山観望旅行を中止
  病院との2度の往復で休日が消えた
  ベッドの高さを調整したら、父が自分で立った。これは正解っ!
  父、デイサービス初訪問の翌日、入院する
  介護保険認定のための調査員がやってきた
  父の誕生日、富士山の写真を贈った
  介護保険の相談に行ってきた
  父、退院する

父、緩和ケア病棟から退院する

あわやの高熱を出し救急車で入院した父、
緩和ケア病棟で10日間過ごした後、今日、退院した。

帰宅後の5分間で3度、

「やはり、家はいいなぁ」

を繰り返す。
家族はこれからが大変なんだが、この言葉ですこし救われる。

入院前よりクスリが2種類増えた。
足のむくみを取る利尿剤と、腫瘍の発熱を抑える解熱剤と。
詳細はCTスキャンの結果を見ないとわからないが、
入院していた期間に効いたこの2種を、家でも飲むことになった。

父には、医者も看護師も驚くほどに、がん特有の痛みがない。
それだけに、容態の重さの割には、
本人にも回りにも深刻度が少ないように思う。
先の入院の際にも、あれよあれよという間に立てなくなった。

発熱と食欲の減退。
父の容態の悪化のサインとなるこの2つを
おおいに気にかける日々がまたはじまった。
富士山を見にいくのは、すこし様子をみてからだなぁ。

車椅子

[過去の介護関連]

  父、来週半ばに退院へ
  父、緩和ケア病棟でくつろぐ
  父、救急車で病院へ
  富士を拝んであけおめ
  父、予定の富士山観望旅行を中止
  病院との2度の往復で休日が消えた
  ベッドの高さを調整したら、父が自分で立った。これは正解っ!
  父、デイサービス初訪問の翌日、入院する
  介護保険認定のための調査員がやってきた
  父の誕生日、富士山の写真を贈った
  介護保険の相談に行ってきた
  父、退院する

父、来週半ばに退院へ

6ネイションズ・ラグビーの中継を見たいせいなのか、
父の病状は急速に安定し、主治医も来週半ばでの退院を示唆した。
父が普通に立って歩けるようになれば退院していい、と。

これを受けて、父の病院内徘徊(^_^)がはじまった。
嫌いだった病院食も、今日は全て完食だったという。
目的を持つということが、父の意欲をこんなにもかきたてるものなのか。
唖然、というよりはすばらしい。

「退院したら、また富士山を見にいこう」
と、父に声をかける。
「おおっ、そうだな。それはいい」
と父。

早い方がいい。
さっそく、宿の手配でもしよう。

車椅子

[過去の介護関連]

  父、緩和ケア病棟でくつろぐ
  父、救急車で病院へ
  富士を拝んであけおめ
  父、予定の富士山観望旅行を中止
  病院との2度の往復で休日が消えた
  ベッドの高さを調整したら、父が自分で立った。これは正解っ!
  父、デイサービス初訪問の翌日、入院する
  介護保険認定のための調査員がやってきた
  父の誕生日、富士山の写真を贈った
  介護保険の相談に行ってきた
  父、退院する

父、緩和ケア病棟でくつろぐ

突如高熱が出て救急車で入院した父だったが、
入院後3日が経って、かなり病状は安定した。

緩和ケア病棟は、いわゆるホスピスと呼ばれている。
末期の患者が最後の時を過ごすための病棟だ。

そのせいか、一般病室とはかなり異なる。

まず、部屋が広い。
10畳ほどはある。
簡易ベッドを入れて、家族が添い寝することもできる。

窓は南に面していて日当たりは最高。
平屋の窓外には、広い庭が開けている。
暖かい季節には花が咲き乱れるそうな。

テレビとビデオの両方が病室に備え付けてあって、
無料で楽しめる。
一般病室では、カード式のテレビだけで
見るのに1時間100円かかるのとは大違いだ。

緩和ケア病棟の中央部分には、
ピアノを置いた共用スペースがある。
そこに、けっこう大きめのお内裏さまとお雛さまが飾ってある。

などなど。
ターミナルにさしかかった患者の心を
少しでも和まそうという工夫が各所にされている。

父は、日記をつけたり、歩いてトイレに行けるほどに回復し、
家にいたときとほぼ同様の生活ができるようになった。
で、口に出す言葉は
「早く家に帰りたい」

だが、主治医は、
「帰宅しても、翌日にはまた熱が出て
 すぐに戻ってきますよ」
とつれない。

緩和ケア病棟で、父はくつろいでいるものの
やはり家がいちばんいいのだ。
あ、6ネイションズ・ラグビーの中継がはじまるのか。
父も、俺に負けないスポーツ観戦おたくだからなぁ。
遺伝か (^_^;;;

車椅子

[過去の介護関連]

  父、救急車で病院へ
  富士を拝んであけおめ
  父、予定の富士山観望旅行を中止
  病院との2度の往復で休日が消えた
  ベッドの高さを調整したら、父が自分で立った。これは正解っ!
  父、デイサービス初訪問の翌日、入院する
  介護保険認定のための調査員がやってきた
  父の誕生日、富士山の写真を贈った
  介護保険の相談に行ってきた
  父、退院する

父、救急車で病院へ

新年を迎え体調が良かった父だったが、
先週から風邪を引き、いっきにカラータイマーが点滅状態に。

今日は通院日。
だが、熱が高く立つこともできない。
父を背負ってクルマに乗せることもできないではないが、
ここはプロに頼もうということで、救急車を呼んだ。

救急隊員は3人で来て、
搬送用のシートを父の身体の下に通し、
クルマまで父を運んだ。
さすがはプロ、手際が違う。

父はこのままホスピス病棟へと運ばれる。
俺は、自宅でしばし待機状態。
今夜が夜勤のため。

夜勤明けからスノボの予定なんだけど
行くかどうかは父の状況によるよなぁ。

車椅子

[過去の介護関連]

  富士を拝んであけおめ
  父、予定の富士山観望旅行を中止
  病院との2度の往復で休日が消えた
  ベッドの高さを調整したら、父が自分で立った。これは正解っ!
  父、デイサービス初訪問の翌日、入院する
  介護保険認定のための調査員がやってきた
  父の誕生日、富士山の写真を贈った
  介護保険の相談に行ってきた
  父、退院する

富士を拝んであけおめ

今朝、初夜勤明けに起きて居間にいくと、
なんだか父がそわそわしている。
横から母が
「いい天気で富士山を見にいきたいんだけど、
 夜勤明けを起こすのは悪いから、いままでずうっと待っていた」
と。

12月に体調を崩した父、予定していた富士山観望旅行を中止したのだが、
クリスマスを過ぎる頃より食欲が戻り、同時に体調もよくなった。
体調がよくなると、何かをする意欲も出てくる。
こんなに良い方向性を無視するわけにはいかない。

さっそく父をクルマに乗せて、父が何度も入院している病院にいく。
この病院の最上階からは富士山がよく見えるのだ。
暖房と救急医療体制の完備した展望台だ。

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「手術から2年半。あと半年生き延びればデータになって
 主治医の先生にプレゼントができる。
 2年半経てば完治で万々歳だ」
と父。

近頃これだけ前向きな父は珍しい。
体調の良さを富士山が後押ししているのだろう。

改めて、あけましておめでとうございます。
これからも何度も富士山を拝めますように。

車椅子

[過去の介護関連]

  父、予定の富士山観望旅行を中止
  病院との2度の往復で休日が消えた
  ベッドの高さを調整したら、父が自分で立った。これは正解っ!
  父、デイサービス初訪問の翌日、入院する
  介護保険認定のための調査員がやってきた
  父の誕生日、富士山の写真を贈った
  介護保険の相談に行ってきた
  父、退院する